左大腿骨天使骨折で手術し、合併症で誤嚥性肺炎になった父のその後ですが、あれから2か月以上経った今も入院しています。というか残念ながらもう助かりません。
嚥下機能のリハビリは続けてましたがやはりその回復は難しいと診断され、結局このままカテーテルか胃ろうという選択をせざるを得なくなりました。
しかし父の状態は、たとえ胃ろうをして食べ物による誤嚥を防げたとしても、自分の唾や痰を飲み込んでの誤嚥は防げないので、それならまた辛い手術を受けさせるより、もう年も年なのでこのまま看取ってあげようと兄と母と話し合い決めました。
特養にももう戻れないので退所手続きを行いました。ここが父の人生の終わりの場所だと思ってたのに・・・
そうして11月の下旬、肺炎から今度は心不全を併発して具合が一気に悪くなり、ここ数日が峠なので遠方に親類縁者がいるなら早々に会っておいて下さいと言われました。
ついに別れの時が来たかと、まだなんとか意思疎通の出来る父に母は「あなたの妻になって私はこれまで幸せでした。」と泣きながら話しました。
私も兄のように立派な会社に勤めて結婚し、嫁と孫を見せてやると言うごく普通の親孝行を出来なかった事を深く詫び、その代わり同居していたので所帯持ちならとても無理なくらい介護を今日までがんばって来たので、どうかそれでこらえて欲しいと伝えました。今まで心の中で思って来てずっと言えなかった言葉です。
父は呼吸が荒くてもうかすれ声でしたが、「かまへん、ありがとう」と答えてくれました。それを聞いた途端不覚にも涙がこぼれました。
その日からはいつ危篤の連絡が来るのだろうとびくびくしながら過ごしていましたが、なんと父は峠を乗り越える事が出来、心不全が沈静化したのです。しかし以前の状態に戻ったわけではなく一段階悪い所で落ち着いているので、いつ急変するかわからない状態は引き続いていますとの話でした。余命はどれくらいか聞きましたが、月単位かもしれないし週単位かもしれないと具体的な回答はいただけませんでした。
その含み言葉と今の父の状態から恐らく月を超えるのは無理だろうと解釈してたのですが、小康状態のまま12月に入っても父は生き続け、遂には昨日16日に九十四歳の誕生日を迎えました。父は昭和三年生まれ11人兄弟の八男末っ子で、男衆の中では六男の伯父の享年九十三才を抜いて最長寿となりました。快挙です!
なので誕生日を祝ってやりたいのですが一難去ってまた一難、今度は今週月曜に父の病棟からコロナが出まして面会禁止になってしまったのです。再開はいつになるか現状目途は立たず、年内は難しい可能性が高いとの事。
それじゃその間に危篤になったらどうなるのか伺ったところ、患者家族のキーマンである私だけが面会可能で、母や兄は控えて下さいとの回答でした。なんでこんなに次から次へと悪い事が続くのか!
それなら会えなくてもせめて気持ちだけでも伝えたいと思い、バースデーカードを作りました。

聞き取りできなくても最悪曲だけでもわかってもらえたらと思ってメロディカードを選びました。
そしてコロナなので受け渡しはロビーの受付に預けるという形になるので、確実に父に読み聞かせてもらえるよう病棟スタッフの方へのお願いの文書も添えました。

これを昨日病院へ持って行き、外から父が入院してる部屋に礼をして帰りました。そして今日電話で確認したら看護師さんから読み聞かせてくれたとの事。コロナで大変な中本当にありがとうございました。
あとは父が存命中に面会再開となると良いのですが・・・
誕生日は越えたので今度は年を超えて欲しいとは思いますが、苦しんで生き続ける位なら少しでも楽に逝ってもらいたいのが本位なので複雑な気持ちです。
そしてどうかコロナに院内感染しないでとーちゃん!
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テーマ:介助・介護生活 - ジャンル:心と身体
- 2022/12/17(土) 18:20:07|
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