ふじたゆきひさ先生の2016冬コミ本「みいな下描き集・冬」

年末の冬コミケで、ふじたゆきひさ先生のサークル「ちょきちょきランド」が出していたコピー本の新刊です。


ふじたゆきひさ先生2016冬コミ本「みいな下描き集・冬」 01


月刊モデルグラフィックスに2002年2002年2月号から2009年4月号まで連載していたふじた先生のイラストコラム「雑多えんたあていめんと。」のマスコットキャラ「木ノ枝美衣奈(このえみいな)ちゃん」の下描き原稿集で、去年の夏コミで販売されていた「みいな下描き集・夏」の続編となります。「夏」があるから「冬」もあるだろうと期待してたらそのとおりになりました。^^


ふじたゆきひさ先生2016冬コミ本「みいな下描き集・冬」 02

この本、今回もふじた先生のご友人の方からいただいたのですが、冬コミ分は完売していて在庫がなかったため、その後新たに作っていただいた物でして感謝感激です!

冬コミに続いて先日のワンフェス2017[冬] でも、先生のディラースペース「M☆Power」にて重版が販売されていた模様。




中身はこんな感じです。

ふじたゆきひさ先生2016冬コミ本「みいな下描き集・冬」 07

「冬」と銘打ってるだけあって冬服中心の絵で構成されています。けどそこはふじた先生なので、どんなに着込んでいようがみんなミニスカもしくはホットパンツで太モモどーん!(笑)



ふじたゆきひさ先生2016冬コミ本「みいな下描き集・冬」 03

ふじた先生はクルマ好きだけあってカーモデルネタが多く、これらはパトカー関連のときのイラスト。掲載版にはない脚の下描き線がタイトスカートに入っていて、この上なくエロい。まったくけしからん!(*゚∀゚)=3



ふじたゆきひさ先生2016冬コミ本「みいな下描き集・冬」 04

今回の本は前回のガルパンイラストみたいなわかりやすい新作カットはありませんが、まえがきにもあるとおり下描きに手を加えてあって掲載版と違っていたり、未使用イラストとか初めて見た物が結構あり、前回とはまた違った新鮮な内容でした。



ふじたゆきひさ先生2016冬コミ本「みいな下描き集・冬」 06

A4サイズで全16ページ。
一緒に夏コミで配布されていたらしいポストカードもいただきました。
ありがとうございます。


これらのイラストが載ったコラムのムックがこれ。本サイトのほうにレビュー記事を載せています。


(画像元・Amazon)

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ワンダーフェスティバル2017[冬] 会場発表のプラモデル新製品まとめ

本日ワンダーフェスティバル2017[冬] が開催されました。本来はフィギュアとガレージキットの祭典なんですが、近年は模型メーカーがプラモデルキットやフィギュアを出品したり、またフイギュア自体が完成品でなくプラモデルで商品化された物が増えてきましたので、そうした新製品のツイートをまとめました。



《フジミ》




































《アオシマ》



























《ファインモールド》















《エフトイズ》






《プラッツ》















《MAX FACTORY》



















《コトブキヤ》





















《バンダイ》















《アクアマリン》












《その他》






















最後のM☆Powerとは、プラモのモ子ちゃんの藤田幸久先生のディラースペース名で、昔から毎回参加されているそうです。

関係者皆様どうもお疲れ様でした。

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陸軍技術士官だった伯父の戦争体験

京都に住んでいる父方の伯父の訃報が先週末にあり、この間の土日に葬儀に行って来ました。
大正12年生まれで享年93歳、大往生です。

前回の戦時下の国策本レビューにも少し書きましたが、父は昭和3年日本三景の天橋立で有名な京都府宮津市に生まれ、ギリ兵隊に取られずに済んだ世代ですが、11人兄弟という大家族の末っ子八男だったので、上は皆明治・大正生まれでして4人が戦争に行ってます。

今回他界した伯父はその中の六男で父の2コ上の兄であり、兄弟の中でも丈夫な体を持ち学業も優秀、戦争中は陸軍の技術士官として幾多の生死の分かれ目を生き抜いた強運の持ち主です。最終階級は少尉。

昭和16年 叔父と父の写真
昭和16年、13歳の父(左)と18歳の伯父(右)


伯父は生前に自叙伝を書き残しており、自宅療養をしていたので先日見舞いに行ったときにそれを少し読む機会がありました。
戦後72年目を迎え戦争経験者がどんどん少なくなる今、その人達の体験を後世に語り継ぐのは大事な事と思い、今回はそんな伯父の波乱万丈な戦時下の話を書きたいと思います。



昭和19年(1944年)2月、東芝の鶴見研究所(恐らく横浜の現・京浜事業所)に新米の技術社員として働いてた当時20歳だった伯父は工兵として召集され、京都市深草の通称垣兵団こと帝国陸軍第16師団、工兵第16連隊に入営しました。


第16師団司令部庁舎(現・学校法人聖母女学院本館)【Wikipedia】

第16師団は当時ルソン島に駐屯していたので伯父もフィリピンへ出征となり、兵舎から師団街道を京都駅まで行軍、広島の宇品まで列車移動、そこから1万トンクラスの新型特殊船吉備津丸に乗船してマニラに上陸しました。手記には「生まれて初めての外国の都市、珍しい蛍光灯の青白い光が印象的であった。」と書かれています。
そこで初年兵教育を受けたのですが、マニラではゲリラとの小競り合いが時々あるくらいで大きな戦闘はなかったそうです。

同年4月に警備区域の変更により第16師団はレイテ島に移駐、小さな貨物船を改造した輸送船で10日かけて移動したのですが、「道中水不足で海水を飲む様な状態で食物がのどを通らず、タクロバン上陸時は水の旨かったのが忘れられなかった」とあります。

レイテ島は戦略上の要所であり米軍の上陸攻撃必至のため、島中にヤシの木で橋をかける道路作りが伯父のいた工兵部隊の主な仕事でした。

マニラ、レイテ島 位置マップ
マニラとレイテ島の位置 【GoogleMap】

その後伯父に最初の生死の分かれ目がやってきます。
5月か6月頃に幹部候補生の志望受付があり、伯父は技術屋なので技術部を志望。同僚には技術屋なのに見栄を張って兵科を志望したものもいたそうです。運よく合格したので技術部候補生は内地の学校へ、兵科候補生はシンガポール(当時は昭南島)の学校へ送られる事になるのですが、シンガポール行きはその後全員戦死したそうです。

同年9月陸軍兵器学校入学のためレイテ島を出発。
手記には、「毎夜南十字星を眺め望郷の念にかられている上官・同僚から羨ましがられたが、これも命令の事仕方なかった。部隊長や上官より内地へ帰ったら留守宅へと砂糖、綿布、手紙等を預かった。」と戦友達との別れの際のやりとりが書かれていました。

マニラから内地行きの船は偶然にもまた吉備津丸でした。海軍の護衛艦隊に守られ船団を組んでバシー海峡、台湾の北西側を北上するルートで福岡の門司を目指すのですが、この頃になるとこの海域は制空権・制海権共になく、通商破壊作戦で米潜水艦に輸送船が片っ端から沈められて多くの将兵が命を落とした「輸送船の墓場」と呼ばれており、この時もその例に漏れず大変危険な航海でした。

手記には、「出発した夜から米潜水艦の攻撃を受けた。毎晩火の玉になって散る船、気狂いのようにジグザグに逃げ回る輸送船、とうとうまともなルートで北上出来ず西へ逃げ、一時は海南島に避難し、一時の上陸を楽しんだ。再度北上を続けたが、今度はB29の空と海からの攻撃で今夜はもう駄目だという日が毎日続いたが、ようやく1か月ぶりに門司にたどり着いた。数十隻の船団が帰った時には数隻になり、吉備津丸という船の運の良さに感激したものである。」と書かれています。


吉備津丸 【Wikipedia】

調べたところこの時の護送船団名は「ヒ72船団」といってその凄惨な航海の一部始終がWikipediaに詳しく載っており、伯父の話とほぼ合致します。そこには吉備津丸のみが唯一無傷で生還したと記載されています。(吉備津丸はマモ03船団所属で、マニラからの帰路ヒ72船団に加入)

そして内地へ帰還するも、ビタミン不足による体調不良で療養していた10月に、米軍がレイテ島に上陸した知らせを受けます。大戦闘の末2か月後に島は陥落し、第16師団も壊滅しました。帰還命令により一カ月違いでレイテを離れた事、そしてその帰路も壊滅的被害を出した船団の中で生き残った事、この時が伯父の2度目の生死の分かれ目でした。


レイテ島の戦い 【Wikipedia】


相模原の陸軍兵器学校に入学した伯父はそこで厳しい教育を受け、翌年の昭和20年(1945年)1月の甲種乙種幹部候補生区分試験に甲幹で合格。乙幹組は直ちに朝鮮へ派遣され、彼らの多くは大戦末期のソ連侵攻で戦死もしくはシベリアに抑留されたそうで、ここが3度目の生死の分かれ目でした。

そして4度目の生死の分かれ目。
甲幹の教育期間中のある日上官から呼び出され、「お前は長男でないから中野学校へ行かないか?」と陸軍中野学校への入学を勧められます。昭和40年代に市川雷蔵主演の人気映画シリーズにもなったので名前だけは聞いた事ある人も多いと思いますが、陸軍中野学校とは情報将校、つまりはスパイの養成機関です。


陸軍中野学校 [DVD]【amazon】

ここに抜擢されるのは優秀な青年将校の証なので名誉な事なんですが、以後は民間人を装って諜報活動する事となるため、当時はまだ日本の勝利を信じていて、このまま職業軍人として生きて行こうと考えてた伯父は、軍服を脱ぐのが嫌でその誘いを断ります。もっともこの頃の中野学校はゲリラ養成の色が強かったそうで、そこで承諾していれば同年に入学してルパング島に派遣された小野田寛郎少尉のようになっていたかもしれず、人の運命は正にちょっとした事が分かれ目になる事を痛感したそうです。

その後見習士官に任官され、熊本の第6師団司令部に配属されました。
昭和20年5月、戦局は益々不利で物資は不足し、定期的に空襲に来るグラマン戦闘機に反撃する弾薬まで事欠く始末。そこで伯父は地元の花火屋に協力してもらって木材から黒色火薬を作り、それを使った花火のような手製の対空弾を作ったりしたそうです。撃ち落とすことは出来なくても、びっくりさせて追い払えれば良いという苦肉の策でした。

最後となる5度目の生死の分かれ目。
同年8月、海上封鎖作戦でB29爆撃機が日本沿岸や港湾に磁気機雷をたくさんばら撒いてたので、その不発弾処理の研修で伯父は広島に出張を命じられます。そして2日間の講習を受けて熊本に帰った翌日、広島に原子爆弾が投下されました。


広島市への原子爆弾投下 【Wikipedia】

爆心地に近かった広島の基地は壊滅。手記に「我ながら自分の運の強さに驚いた!」とあります。

熊本に戻ってからは不発弾の機雷を解体して黄色火薬(下瀬火薬)を作り、これを手榴弾に詰め替える作業を挺身隊の女学生の人達に手伝ってもらい行っていたのですが、14日に「明日天皇陛下の重大放送があるので集合するように」との命令を受け、翌日終戦を迎えます。
「戦争に負けた軍隊は軍律も何もない無法の様であった。倉庫から食糧衣服、機械類まで持ち出して正に泥棒であった。」と、当時の生々しい状況が書かれていました。

除隊して9月下旬に復員。軍用行李を担ぎ、復員列車で故郷の宮津に帰郷しました。
近所に挨拶まわりに行った中に息子さんが戦死された家があり、そこの母親が伯父の生還を素直に喜んでくれてないのが伝わってきて、その心情を察するとたいそうつらかったそうです。


復員列車 【Wikipedia】

復員後、東芝からは復職するよう勧められましたが、母親(私の祖母)から「こんな食糧難の時に東京や横浜へ戻ったら野垂れ死にしてしまう!」と反対されて断念。かといって家は当時両親と長兄家族、弟(私の父)以外に復員してきた他の兄もいたので食べていくのが大変で、当面アルバイトで糊口を凌ぎ、その後大阪に本社のある某電気設備会社に入社する事になるのですが、背広などとても買えないので軍服で面接に行ったと書かれています。

伯父の戦争体験はここまでです。




昭和24年に伯母と見合い結婚をして婿養子となり京都市内に移住。一男二女をもうけて定年まで勤め上げ、その後は家庭菜園などをやりながら悠々自適に余生を過ごしていました。
会社では結構偉いところまで登りつめたとは聞いていましたが、これが定年から30年以上も経った老人の葬式なのかと思うほどその会社関連から供花がたくさん来ていて驚きました。有能なだけでなく人望もあったのでしょう。

叔父の葬儀

前述のとおり父の生家は大家族なもので、その気遣いもあってかウチは昔から冠婚葬祭以外で父方の親戚筋との交流があまりなく、今回の伯父とも晩年数回会った程度だったのですが、自叙伝を書いていたおかげでその戦争体験を詳しく知る事が出来ました。でもホントは元気だった頃にもっと会っておいて、伯父の口から直に色々聞きたかったですね。

波乱万丈の93年の一生、本当にごくろうさまでした。ありがとうございます。

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戦時下の国策本「輝く海軍航空隊」を読んで

2月に入って早々インフルエンザにかかってしまい、これでまで床に伏せてました。
余寒なお厳しい昨今の事、皆様もどうぞお体には気を付けください。


さて本題ですが、私と同じ頃にサイトを開設した旧友であり相互リンク先の模型電動士さんから、「輝く海軍航空隊」という戦時下に発行された当時を知る上で貴重な本を、二冊お持ちという事でそのうちの一冊を新年にプレゼントしていただきました。
ありがたやありがたや。m(_ _ )m


輝く海軍航空隊 01

大きさはB6サイズで、ページ数はノンブルを見ると表紙を含まず292ページからなる読み応えある単行本です。
日本海軍の航空隊がどのようなものか、その歴史から組織構成、任務、活躍などを、当時の青少年向けにやさしく解説した内容になっています。

戦時下の本なので太平洋戦争は大東亜戦争、日中戦争は支那事変と記載、文章も旧仮名遣いで、横書き文は右から左になっているのが目に留まります。



輝く海軍航空隊 02

奥付によると、発行は昭和18年(1943年)10月になっており、この頃は前年のソロモン海戦やガダルカナル戦といった南太平洋の消耗戦で開戦当初から活躍した熟練搭乗員のほとんどが戦死してしまい、海軍が航空兵力の再建に奔走していた時期なので、こういう本を出す事になった当時の国情が浮かんできます。

発行元の童話春秋社も印刷所の帝都印刷も初めて聞く企業名。配給所の日本出版配給だけはウィキペディアに載ってまして、戦時下の出版物を統制する国策会社との事でした。



そんなわけで中身をざっくり紹介します。

表紙をめくって巻頭には、零戦など海軍を代表する飛行機のグラビア写真が載ってます。ここだけ良い紙が使われており、写真の網掛けも非常に細かく鮮明でして、当時でもこの品質の印刷が出来たのかとちょっと驚きました。

輝く海軍航空隊 03

模型電動士さんに教えていただいたのですが、零戦のキャプション「わが精鋭艦上戦闘機」の「艦」の文字はよく見ると上から紙を貼って修正された物になっています。ご自身がお持ちのもう一冊の方ではそれが剥がれかかっていて、元々は「水」になっているとの事でした。水上戦闘機と誤植されていたんですね。ちなみに二式水戦の写真はどこにもありません。


グラビア写真の次には序文が載っていますが、その寄稿主は神風特攻隊の創始者であり、玉音放送の翌日に割腹自決した大西瀧治郎中将でして、当時は航空本部総務部長だったようです。

輝く海軍航空隊 04-2 輝く海軍航空隊 04-1

特攻隊が組織化されたのは、翌年10月のレイテ沖海戦からであり、大西中将はまだこの年には特攻を求める意見に対して保留の態度をとっていたとされていますが、寄稿にあたってその心中はいかばかりだったかと思いを巡らせます。


本の序盤は読者にインパクトを与えるため、ハワイ・マレー沖海戦における海軍航空隊の大戦果を紹介しています。

輝く海軍航空隊 05

どれも今日の資料本でよく目にする有名な写真とイラストで、すでに戦時下でも戦気高揚目的で一般公開されていたんですねえ。
こういった本文中の写真の品質は当然巻頭グラビアよりは劣るものの、私が幼少時の昭和40年代の新聞写真と大差ない感じで、思ってたより鮮明でした。



海軍機を紹介する章では、すでに退役済みの旧式機については正式名称まで紹介していますが、(この本が出た当時である)現役機種については巻頭グラビアの「わが戦闘機」みたいな詳細をぼかした説明に徹しており、代わりにアメリカの飛行機については諸元まで詳しく書かれています。海軍の情報取集能力をアピールする目的もあったのかもしれません。

輝く海軍航空隊 06
  • F4Uコルセア: ダブルワスプエンジン最大出力1850馬力、最大速力625km/h、航続距離2610km。
  • P-47サンダーボルト: 同上エンジンで最大出力1850馬力、最大速力505km/h、上昇限度9000m、機銃12.7mm機銃x 8門~14丁、空戦高度10000m、排気タービン、防弾タンク、防弾ガラス&装甲装備。

どちらも大まかにあっており、新鋭機ながら初飛行が戦前に行われた機種なのでまだ情報が掴みやすかったのかもしれませんが、よく調べてあるなあと思いました。



図解による解説ページもあります。以下は「鍛へる術力」という飛行機の攻撃法を解説した章。

輝く海軍航空隊 07
  1. 環状照門による射撃の説明。敵機が自機と同じ高度でその針路が直角に交わる方向にあるとき、移動距離を予測して撃てば命中するが、実際は両機の位置関係はさまざまなので、この移動距離を半径とする環状の照門とし、敵機がこの中のどれかの位置にいる時射撃すれば命中すると解説されています。
  2. 水平爆撃の説明。真空であれば、投下した爆弾は飛行機の速度と重力との合力でいつも飛行機の真下に落ちるが、実際は空気抵抗を受けるので、進行方向とは逆の方向にやや押しやられてこういう曲線を描き、飛行機が(ニ)の位置にいる時(ハ)の地点に落ちると解説されています。
  3. 急降下爆撃の説明。飛行機が目標に肉薄して投下するため水平爆撃より命中率がずっと高く、しかも移動速度が速いため敵弾を受ける時間が短くて済む攻撃術とあります。
  4. 雷撃の説明。図は魚雷に搭載されているジャイロ誘導装置のしくみ。これによって魚雷は水中の抵抗を受けても舵角を修正し、進行方向を変えずに直進出来ると解説されています。


「移動航空基地」とタイトルが付いている空母についての章。
空母がどのような目的で誕生し発達してきたか、そしてそのメカニズムや運用法について詳しく解説されています。

輝く海軍航空隊 08

ここでも飛行機の章と同じく、英米の空母については艦名を記載したキャプション付き写真で詳しく紹介していますが・・・



輝く海軍航空隊 09

日本空母に関しては、旧式化してすでに第一級戦力から外されていた若宮と鳳翔以外は、やはり「わが航空母艦」、「段甲板型(多段型の事)」と言う風に艦名を伏せてあります。それぞれの写真の空母は、中段左=加賀、中段右=赤城(多段空母時代)、下段左=瑞鶴、下段右=不明(艦橋がないので鳳翔、瑞鳳、龍驤のいずれか?)、かと思います。

現代では日本初の空母と言えば鳳翔とされていますが、この本ではそれより古い水上機母艦の若宮を初の空母と紹介しており、その理由として若宮の現役当時はまだ水上機母艦という艦種がなかったので空母と分類していたからと本文中に書かれています。では鳳翔はとういうと、日本初の制式空母と紹介されています。


アメリカの空母戦力を解説したページ。

輝く海軍航空隊 10

これによると開戦時から米海軍が保有していた空母は、この本が出た昭和18年秋においては、
  • サラトガ: 珊瑚海海戦で撃沈。
  • ヨークタウン: 珊瑚海海戦で撃沈。
  • レキシントン: ハワイ西方洋上で撃沈。
  • エンタープライズ: ミッドウェー海戦で撃沈。
  • ホーネット: ミッドウェー海戦で撃沈。
  • ワスプ: 第二次ソロモン海戦で撃沈。
  • レンジャー: 北大西洋でドイツ潜水艦により撃沈。

となっていますが実際は、
  • サラトガ: 健在(終戦まで生き残る)。
  • ヨークタウン: ミッドウェー海戦で撃沈。
  • レキシントン: 珊瑚海海戦で撃沈。
  • エンタープライズ: 健在(終戦まで生き残る)。
  • ホーネット: 南太平洋海戦で撃沈。
  • ワスプ: 第二次ソロモン海戦で撃沈。
  • レンジャー: 健在(終戦まで生き残る)。
なので事実とは異なります。

ただし実際に昭和17年秋には、太平洋からこれらすべての米空母を追い出した時期があったので、全部が虚偽や誇張というわけでなく、戦果の誤認による過大評価も多分に含まれていたと思います。


「大海洋航空作戦の展開」という、英米戦におけるこれまでの戦果報告を紹介した章。

輝く海軍航空隊 11

上写真はその中でも北方作戦からソロモン海戦までのくだりが報告されているページ。戦果の過大評価は変わらずですが、この頃の戦闘では味方の被害も相当出てたにもかかわらず、そこには一切触れられていないのが興味深いです。



輝く海軍航空隊 12

ただ巻末に近いページにある昭和18年4月以降の航空戦の戦況においてはアッツ島守備隊玉砕の事が書かれていまして、見落としがなければこれがこの本における唯一自軍の被害について具体的に記述されている箇所です。
実際この戦いの事は、戦時下において国民に発表された初の日本軍の敗北として知られています。



輝く海軍航空隊 13

海軍航空隊の活躍をひととおり説明した後は最終章となり、これだけやっつけても米軍は物量に物を言わせて次から次へと新戦力を前線に投入して来る。現代の戦いは航空戦であり、彼らに打ち勝つにはどうしても飛行機と搭乗員の数が必要なので、諸君も共に戦いましょうという流れになっていきます。

そしてここから先はその具体的方法が書かれており、海軍飛行予科練習生、いわゆる予科練に入るにはどうすればよいのか、そして予科練ではどのような事を学んで生活し、晴れて航空隊に配属されるのかが説明されていて、入隊の手引書的な内容に変わります。

輝く海軍航空隊 14

予科練というのは志願制の少年飛行兵養成制度でして、満14歳から入隊資格があり(乙種の場合。甲種は15歳)、当時徴兵が19歳からだったので、それより早く兵役に就く事が出来たのです。パイロットは高度な知識と技量を要するので、それまではなろうと思っても審査が難しくてなかなかなれなかったけど、今は制度が変わってやさしくなり採用枠も大幅に増えたので簡単になれますよとこの本で説明されています。実際のところは戦況悪化で搭乗員を大量養成しなければばらなくなったからでして、この翌年末くらいからは特攻隊の訓練を行う場所になってました。



さて読了しての感想です。

航空隊の歴史や組織構成、飛行機や空母の説明などについては、現代の資料本と書かれてる事ほぼ同じなんですが、「昔こんな事があったのです」と「今こんな具合です」では全く違った印象でした。

自分が生まれる前の話というのは、知識として理解していても感覚的にピンと来ないものですが、この本を読んでいると確かに今から74年前日本は英米と戦争中で、政府や軍隊はこんな事を国民に伝えていたという、戦時下の張り詰めた空気が文章から生々しく伝わってきます。
これがもっと昔の本であれば逆に歴史資料として距離を置いた見方が出来たのでしょうが、両親や祖父母がそこには生きており、しかも自分が生まれる20数年前程度の昔なので、本の内容が自分の知ってる世の中と線で繋がっている部分が所々に見受けられ、妙にリアルなのです。

にしても戦果報告については、こんだけ一方的に勝ち続けてるという話を国民は素直に信じ込んだのだろうか?という疑問は残ります。しかしそれは自分がその後の未来を知っているからであって、言論統制されたあの当時の年端もいかない少年少女がこの本を読んだとすればどうだったのか?あるいは「うっそだー!」と内心思っていても、それを口に出せる世の中ではなかったでしょうしね。

そんなわけで当初サッと読むつもりが、読んでいるうちに色々思うものがありまして、史実と付け合せたりしながらじっくり読むうちに1か月も経ってしまいました。読書中の頭の中は昭和18年秋でしたね。

ちなみにウチの父親は昭和3年生まれなので当時15歳(12月生まれなので正確には14歳)で、この本のターゲットど真ん中です。
予科練とかの志願兵に関しては、11人兄弟の末っ子で、兄が既に2人戦死していたこともあって行かせようとするまわりの空気もなかったし、本人も行く気なかったと聞いてます。



あと模型電動士さんからは、役所広司が主演した映画「聯合艦隊司令長官 山本五十六」の台本も一緒にいただきました。

聯合艦隊司令長官 山本五十六 台本 01 聯合艦隊司令長官 山本五十六 台本 02

山本五十六は新潟出身なので地元の英雄なのです。
その地元企業にお勤めという事で、お仕事がらみで手に入れられたそうです。
こちらもありがとうございました。

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