19日に父が他界し、その通夜と葬儀が火葬場と菩提寺の都合で少し間を置いて24、25日に行われる事は
前回のブログに書きましたが、御周知のとおりその日は今シーズン最強の寒波に見舞われる羽目になりました。
父の葬儀は今の時流に従って我が家と兄家族のみの家族葬にしたのですが、それでも準備する事は多く、お通夜の日は打ち合わせのために昼から葬儀会場に詰めっ放しで、その夜無事通夜が終わって帰宅しようと駐車場に行ったら、愛車が半かまくら状態になっていてビックリ!

葬儀場って窓ありませんから外の状態全くわからないんですよ。
休憩室でも忙しくてテレビ見る間もなかったので、まさか吹雪になってたとは夢にも思いませんでした。雪なんて10年に1度降るかどうかの大阪ですからねココ。
ちなみに通夜は仏様と一つ屋根の下で寝るのが習わしですが、今は自宅でなく葬儀場で行う事のほうが多いですから、その場合は帰宅しても構わないそうです。ウチも高齢の母の体力を考えて、明日は無事に葬式出せますようにと祈りながら帰宅して床に就きました。
で、一夜明けたらこれ。
おとん最期の最期まで持っとるな!道路がアイスバーン状態です。
大阪人は冬タイヤなんて履きませんからこれはヤバイ!非常にヤバイ!
タクシー呼ぼうにもこんな状態なので混んでて来てもらえませんし、表通りからはひっきりなしに救急車のサイレン聞こえてくるし、母は足が悪いので徒歩なら30分以上かかる葬儀場まではとても歩けません。

愛車もつらら顔。
というかこんな状態では遺族の我々どころか葬儀社の職員さんも住職も式場に行けないんじゃないのか?一体どうなってしまうのだろうと思ってると、10時前から雪が溶け出して凍結が収まりまして、車に母を乗せてどうにか式場にたどり着けました。
ところが一難去ってまた一難、
なんと母が式場の廊下で転倒!
自分も職員さんも騒然です!
母は去年の春にも玄関で転倒して顎を骨折していたんですがまたやってしまいました。しかもよりによってこんな日に!これは救急車案件か!?もう葬儀どころじゃなくなったと頭が真っ白になりましたが、床がカーペットなのが幸運だったのか少し頬が赤く腫れた程度の軽い打ち身で済みました。
もう口から心臓が飛び出るかと思った!!
さらにその後も住職から車が動かなくなったとの連絡があって職員さんがお寺まで迎えに行ったり、京都の兄家族は電車で最寄り駅まで来たものの、バスが運休してタクシーも長蛇の列なので、そこから45分歩いて(雪中行軍だよ…)ギリ間に合うなどトラブル続きで、バタバタしながらどうにか予定の11時に葬儀を始める事が出来ました。
とーちゃんまだこの世に未練あるのかなあ・・・

読経後の出棺時の火葬場までの足は当初マイカーを予定していたのですが、天候で万一を考えて急遽前日にタクシー予約に変更しておいて正解でした。余分に諭吉が何人か飛びましたが・・・
骨上げのとき左大腿骨にものすごい太いボルトが埋まってるのを見つけました。
特養で転倒骨折した父の命を繋ぐはずだったこのボルトが、結果的に手術後の誤嚥性肺炎、さらにはコロナの院内感染による体力消耗を招いて父の命を奪ったのです。そう思うと恨めしくて仕方なかったです。
そして骨上げ後は再び葬儀場に戻って初七日法要も同時に行い、すべての予定が終わって骨壺を抱いて無事帰宅しました。

1年8か月前に圧迫骨折で救急車呼んでそのまま入院となってから、リハビリ病院、老健、特養、そしてまた病院と流浪の生活だったけど、やっと家に帰って来れたね父さん、おかえりなさい。
中陰壇の配膳の仕方は宗派によって異なるそうで、ウチは日蓮宗なのでそれに則って並べました。

手術後は嚥下機能が回復しなかったためずっと栄養カテーテルだったので、久しぶりに父に食事を振舞ってあげられると思うと、疲れてるにもかかわらず面倒より嬉しさの方が勝ちました。生前よく「今夜はごっつおう(ごちそうの意)やのう!」と言ってたのを思い出します。

そんなわけで悪天候の中、色々トラブルもありましたがなんとか通夜と葬儀が終わりました。_:(´ཀ`」∠):_
しかし一服したら今度は四十九日法要と納骨式の準備、各名義変更や相続など目の回るような手続きの山が待ってます。
人一人見送るのって大変ですね。
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- 2023/01/28(土) 22:59:16|
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かねてから入院中だった父が1月19日に他界しました。
年始に更新した近況では年末に院内感染したコロナを克服して無事年を超えたところまで書きましたが、その後12日の血液検査の結果血小板が極端に減ってる事が発覚して三度目の重篤状態となり、面会制限が解除になった今週に入ってからはこちらからの話しかけに対して反応があったりなかったりという感じで目に見えて衰弱してるのがわかるようになりました。
そして19日の朝に病院から父の心拍数がだいぶ落ちて危篤ですとの連絡があり、寝ている母を起こして病院に着いた時には意識はもうありませんでしたが、二人で父の手を握りずっと話しかけ続けました。
昼になって京都の兄が職場から駆け付けると、それを待ってたかのように心拍数がさらに落ちて喉仏が動かなくなり呼吸が止まりました。そしてテレビドラマの1シーンのように心拍計の山がなくなって線になり、午後2時54分臨終となりました。苦しんだりする事もなく、まるで眠るような穏やかな最期でした。
享年94才、
死因は老衰と診断され大往生でした。

思えば今から9年前の春、父が頸椎と腰椎の圧迫骨折を繰り返すようになり、そこから介護が始まりました。
整形外科に消化器内科、泌尿器科、脳神経科、耳鼻咽喉科、眼科、皮膚科の医者通い、さらには認知症も発症したので入浴や下の世話、ディサービスにショートステイと介護の度合いは年々増えていき、時には病院のトイレで検尿時に粗相して焦りに焦って服や床をトイレットペーパーで拭いたり、院内で目を離した隙に杖が滑って転倒し、肩を脱臼骨折してそのまま入院なんて事もありました。
そして2021年6月17日、父がまたしても腰に強い痛みを訴えて緊急入院。その後リハビリ病院に転院し寛解するも、これ以上の自宅介護は共倒れの可能性が高くてもう無理と判断し、退院後は特養に入所。連れて帰ってやりたかったけどコロナ禍もあって、たとえ一時帰宅でも父が我が家に再び戻る事は叶わずでした。
この9年間、本当に本当に長かった・・・
恥ずかしながら私はこの年まで独身でして、転勤以外は実家暮らしでずっと親と同居だった分喪失感が大きいのですが、同時についに介護から開放されたという気持ちもあり、寂しさと開放感と罪悪感が入り混じった複雑な心境です。
無口で子供をあやすのが苦手だったのでどこかに連れてってもらったり遊んでもらった事はほとんどありませんでしたが、亭主は外で金を稼いで家族を養うべしという昭和ヒトケタならではの矜持を強く持っており、浪費癖もなくおかげで経済的な苦労は全くしないで済みました。
それに介護に対しても従順で、ディサービス、ショートステイ、さらには特養に行ってくれないかと頼んだ時も、「しゃーないやろ」「お前らの為ならワシはどこでも行くで」が口癖で毎回文句ひとつ言わずに快諾してくれ、体力的には手がかかったけど精神的にはものすごく楽でした。
10月の入院から寝たきりで食事も出来ず点滴のみで4か月、肺炎やコロナでさぞや苦しかったと思います。でもやっと楽になれたね父さん。長い間本当にお疲れさまでした。今までありがとう。

両親の結婚後初写真。
アルバムの日付には昭和32年1月4日とありました。
ウチの市は今死者がとても多いそうで、火葬場の順番待ちと菩提寺の都合で死亡から結構開いて、通夜と葬儀は24日、25日となりました。悲しむ前に喪主の仕事がまだ残ってるので最後の親孝行頑張らせていただきます。
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- 2023/01/22(日) 21:20:28|
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新年あけましておめでとうございます。

この年始の挨拶を今年は書けないと思ってました。なぜなら看取り期に入っている入院中の父が年を越せると思ってなかったから・・・
12月17日のブログで病棟からコロナ感染者が出て面会禁止になった旨を書きましたが、その後最も恐れていた院内感染が起きてしまいました。
九十四歳の誕生日を迎えた翌日の17日に発熱してPCR検査をしたところ陽性反応が出て、さらに20日には重症化に。今日明日が峠なので覚悟してくださいと主治医の先生から電話で説明を受けました。
誤嚥性肺炎で終末期の超高齢者がコロナで重症化したとなれば、今度こそどうあがいても助かるわけがない。それにコロナで死亡したとなれば遺体と面会も出来ずにそのまま火葬場に直送、骨で返却されておしまいでまともな葬儀もあげてやれません。
元々は特養での転倒による左大腿骨の骨折だったのに、手術後に合併症が出て誤嚥性肺炎になり、最期にはコロナを移されて家族とのお別れも出来ずに死ぬなんて、親父も我々もなんでこんな残酷な目に遭うんだと嘆きました。
そして葬儀屋とコロナの場合の骨葬について相談したりした翌々日また先生から電話があり、「ああついに危篤か臨終の連絡か…」と腹を括ってを聞くと、なんと父はまたしても峠を越えて容体が落ち着いて来たと!さらに発症から10日が経った12月30日に一般病棟に戻る事が出来、そこから2日後の昨日1月1日をもってコロナ認定解除となりました。
父の生命力に驚くとともに治療に当たってくれた病院のスタッフ皆様に感謝です。これで最期を迎えるにしても家族側の代表者である私だけは看取ってやれるところまで戻ってきました。そしてリモートですが、母と共に1度だけ面会も許してもらえました。

父にはコロナを無事乗り越えられた事、そして前回の面会から今日までの間に九十四歳の誕生日を迎えて、これで11人兄弟のうち男衆の中で最長寿になった事(これまでは2つ上の伯父の九十三才没が最長寿)を自分と母の声で祝ってあげられました。
そして元旦は兄家族が年始参りでウチに来たので久しぶりに全員が揃い、特に姪御二人に囲まれてここのところ塞ぎがちだった母が心の底から楽しそうにしており良い新年を迎えられました。
後の望みはもう一度じかに会って父の手を取ってやりたいですね。なのでコロナによる面会禁止解除のその日まで命が続いてくれる事を願うばかりです。
そのような事情で落ち着かない日々はまだしばらく続きますが、本年もよろしくお願いします。
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- 2023/01/02(月) 18:30:29|
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左大腿骨天使骨折で手術し、合併症で誤嚥性肺炎になった父のその後ですが、あれから2か月以上経った今も入院しています。というか残念ながらもう助かりません。
嚥下機能のリハビリは続けてましたがやはりその回復は難しいと診断され、結局このままカテーテルか胃ろうという選択をせざるを得なくなりました。
しかし父の状態は、たとえ胃ろうをして食べ物による誤嚥を防げたとしても、自分の唾や痰を飲み込んでの誤嚥は防げないので、それならまた辛い手術を受けさせるより、もう年も年なのでこのまま看取ってあげようと兄と母と話し合い決めました。
特養にももう戻れないので退所手続きを行いました。ここが父の人生の終わりの場所だと思ってたのに・・・
そうして11月の下旬、肺炎から今度は心不全を併発して具合が一気に悪くなり、ここ数日が峠なので遠方に親類縁者がいるなら早々に会っておいて下さいと言われました。
ついに別れの時が来たかと、まだなんとか意思疎通の出来る父に母は「あなたの妻になって私はこれまで幸せでした。」と泣きながら話しました。
私も兄のように立派な会社に勤めて結婚し、嫁と孫を見せてやると言うごく普通の親孝行を出来なかった事を深く詫び、その代わり同居していたので所帯持ちならとても無理なくらい介護を今日までがんばって来たので、どうかそれでこらえて欲しいと伝えました。今まで心の中で思って来てずっと言えなかった言葉です。
父は呼吸が荒くてもうかすれ声でしたが、「かまへん、ありがとう」と答えてくれました。それを聞いた途端不覚にも涙がこぼれました。
その日からはいつ危篤の連絡が来るのだろうとびくびくしながら過ごしていましたが、なんと父は峠を乗り越える事が出来、心不全が沈静化したのです。しかし以前の状態に戻ったわけではなく一段階悪い所で落ち着いているので、いつ急変するかわからない状態は引き続いていますとの話でした。余命はどれくらいか聞きましたが、月単位かもしれないし週単位かもしれないと具体的な回答はいただけませんでした。
その含み言葉と今の父の状態から恐らく月を超えるのは無理だろうと解釈してたのですが、小康状態のまま12月に入っても父は生き続け、遂には昨日16日に九十四歳の誕生日を迎えました。父は昭和三年生まれ11人兄弟の八男末っ子で、男衆の中では六男の伯父の享年九十三才を抜いて最長寿となりました。快挙です!
なので誕生日を祝ってやりたいのですが一難去ってまた一難、今度は今週月曜に父の病棟からコロナが出まして面会禁止になってしまったのです。再開はいつになるか現状目途は立たず、年内は難しい可能性が高いとの事。
それじゃその間に危篤になったらどうなるのか伺ったところ、患者家族のキーマンである私だけが面会可能で、母や兄は控えて下さいとの回答でした。なんでこんなに次から次へと悪い事が続くのか!
それなら会えなくてもせめて気持ちだけでも伝えたいと思い、バースデーカードを作りました。

聞き取りできなくても最悪曲だけでもわかってもらえたらと思ってメロディカードを選びました。
そしてコロナなので受け渡しはロビーの受付に預けるという形になるので、確実に父に読み聞かせてもらえるよう病棟スタッフの方へのお願いの文書も添えました。

これを昨日病院へ持って行き、外から父が入院してる部屋に礼をして帰りました。そして今日電話で確認したら看護師さんから読み聞かせてくれたとの事。コロナで大変な中本当にありがとうございました。
あとは父が存命中に面会再開となると良いのですが・・・
誕生日は越えたので今度は年を超えて欲しいとは思いますが、苦しんで生き続ける位なら少しでも楽に逝ってもらいたいのが本位なので複雑な気持ちです。
そしてどうかコロナに院内感染しないでとーちゃん!
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- 2022/12/17(土) 18:20:07|
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最近ブログの更新が滞り気味ですみません。
また私事なんですが、今月初旬に特養にいる今年93になる父が早朝に車いすに乗ろうとして転倒し、左大腿骨天使骨折と診断されて骨にボルトを埋め込む手術を受けました。

術後の骨の経過は順調なんですが、全身麻酔の後遺症なのか高齢者の1/10に起きるという嚥下機能の低下により誤嚥性肺炎を起こしてしまいまして、食事が摂れないのでカテーテルによる高カロリー輸液を行っている状態なのです。
なので今後は肺炎の治療に加えて、ベッド上で出来る程度の足腰と嚥下機能のリハビリを行うと言う事になりました。その間肺炎が悪くなれば年齢が年齢だけに命を落とす事になりますし、嚥下機能も良くならなければこのままカテーテルか胃ろうという選択をとらなければならなくなります。そうなると退院して特養に戻る事も出来ませんし、その場合は入院と特養の部屋代の二重の支払いが当面発生する事になり家計を圧迫します。心配性の母はずっと塞ぎ込んでいます。
そんな感じで今はそっちにリソース全振りしてるので、以前ほど更新に手がまわらない状態でして、つきましては幣ブログをご覧になっている皆様においてはどうか事情を鑑みて生暖かく見守っていただければと思います。
そんな事やってる間に私自身も先週から風邪を引いてしまいました。
38.9度の高熱にコロナでは!?と戦慄しましたが、検査結果陰性だったのでほっと胸をなでおろしています。ただ今回の風邪は割としつこくて今だに引っ張っています。
プラモが出来るのも家庭円満あってこそですね。
早く目の前のモヤモヤが晴れて欲しい。。。
今日もこの後父と面会に行ってきます。
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- 2022/10/23(日) 14:31:40|
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今を去る事3年前、桜の花のレジンクラフトを作ってドイツから帰省中の従姉と彼女の2人の娘ちゃん達にプレゼントし、大層喜んでもらえました。




《関連記事》
桜の押し花のレジンクラフト作ってみた 【2020/01/03のブログ】それから世界にコロナが蔓延し、長らく帰省できなくなっていた従姉が今年ようやく帰って来れるようになり、春から叔母の介護のために長女ちゃんと一緒に日本にいまして、プレゼントしたアクセのうちキーホルダーのレジンが黄変してしまったと聞いてたので、それなら新しいのを作ってあげる事にしました。
なので今回は黄変しにくいレジンを探して製品を変えてみた所、花の色が退色するわ、その色がレジンにも微妙に染みて来るわ、さらには硬化後も微妙にベタつくはで失敗の山。

ついには用意していた桜の押し花を全部使い切ってしまいました・・・
これはいかん、やっぱり以前の使い慣れたのに戻そうと考え直し、その代わりUVカットクリアをコートする事で紫外線対策を施す事にしました。鞄に付けて持って出てたところだんだんに色が変わっていったと聞いてましたので。
以前の使い慣れた製品はこれ。

日新レジン クリスタルレジン 75gセット 【Amazon】そしてUV対策に使ったのは模型でお馴染みのこの塗料。

GSIクレオス Mr.カラーGX スーパークリアー3 UVカット光沢 【Amazon】そして肝心の桜の押し花ですが、前記した通り自分で作ったのを使い切ってしまったので、minne(ミンネ)というハンドメイドマーケットの出品物を購入しました。
ソメイヨシノの桜の押し花素材 【minne】これがまあどうやったらこんなキレイに押し花が出来るのか!?と思うほど花弁が整ったのばかり入った素晴らしい代物で、しかもおまけでビオラ(?)ぽい押し花も付けてくれていたので、せっかくですからそれも使っての製作となりました。
そして今回は失敗しまくったので以前のシリコン型が限界で割れてしまったのと時間がなくなったため、新たに型を2つ購入しての2倍の量産体制に。

まずシリコン型に半分だけ透明レジンを流し込んでそこに押し花をレイアウトし、24時間待って硬化させてから残りの半分を流し込みます。でないとレジンの熱のせいか押し花が退色してしまうのです。
あと二液性レジンを混ぜるとき必ず気泡が出来るのですが、それはヒートガンで温風を当てるとたちどころに消えます。
前回はドライヤーで代用しましたが、ヒートガンの方が小回りが利いてはるかに使いやすかったですね。模型の大判デカール貼りにも重宝するし価格もしれてるのでもっと早く買っておくべきでした。カーモデラーのマストアイテムです。

Mirao ヒートガン 小型 熱風機 エンボスヒーター 【Amazon】硬化後シリコン型から外したところです。

写真を見る分にはこのままでOKに見えますが、実際はレジンのヒケとかで平滑さが足りないので、耐水ペーパーで削って形を整えます。
まずは180番の粗目で表面が真っ平になるまでガシガシ削ります。

一見平らに見えても、実際はこんな風に真ん中が盛り上がってるのがわかります。
まだまだ削るよー!
#180 → #240 → #320 → #400 → #800 → #1000 の順に番手を上げて削ります。
指は赤く腫れあがるしめっちゃ面倒ですが、間を飛ばすと削り傷が残ります。

研磨中はものすごい削りカスが出るので、防塵マスクと集塵機を使うか、もしくは水研ぎをしないと粉塵を吸って肺がやられるので必ずそのようにしましょう。
そしていよいよUVクリアコーティングでして、この塗料の出番です。

クリアー塗装はまんまカーモデルのそれと同じで、まずはまぶすように薄く吹き、乾燥したらまた薄く吹くのを何度か繰り返します。

そしてレジンにちゃんと塗料が馴染ませておいて、今度は表面がテロリとして垂れる寸前まで厚吹きします。
塗料乾燥後に1000番の耐水ペーパーで中研ぎ。
なんでこんな事をするのかと言うと、塗膜表面の平滑性を整えやすくするのと、途中で付いてしまったホコリを削り取るためです。

そしてその上からクリアー塗料を吹き付け、また中研ぎをします。
この作業を3回繰り返してある程度の厚みのある塗膜を形成し、さらにそこから
#1200 → #1500 → #2000
まで番手を上げてサンディングします。
次にいよいよ磨き上げ作業。コンパウンドがけを行います。

粗目 → 細目 → 極細目 の順に磨きます。
磨くクロスはテイッシュを使う人が多いと思いますが毛羽立ちやすいので、私の場合100均の不織布タイプの油こし紙を使ってます。安くて滑らかで毛羽立たないので最高!
さらに仕上げでハセガワのセラミックコンパウンドをかけて鏡面仕上げにし、最後にタミヤのモデリングワックスを塗ってツヤを整えホコリを付きにくくします。この作業のクロスはさすがに油こし紙では心許ないので、スーパーポリッシングクロスを使いました。

研げ研げ研げよー♪ もっと研げよー♪
らんらんらんらんレジン研ぎー♪



ハセガワ セラミックコンパウンド 30ml 【Amazon】タミヤ モデリングワックス 【Amazon】ハセガワ スーパーポリッシングクロス 26cm x 19cm 【Amazon】あらかじめ開けて置いた穴にキーホルダーチェーンを付けて完成!

できました~!
従姉と2人の娘ちゃん分に加えて今回は旦那様分も作りました。

今回新たに作ったビオラらしき花のキーホルダー。
ビビッド感溢れる極彩色のイメージに仕上がりました。

そして定番の桜のキーホルダー。
花弁がやや小ぶりなので2枚にし、併せてつぼみと葉っぱも入れてより華やかな感じに仕上げました。

こちらは金箔をあしらって和風、雅な感じをさらに強調。
ネットで見つけた作品が素晴らしかったので真似をさせていただきました。

そしてこれらが完成した翌日、つまり昨日なんですが、舞鶴の従姉の実家に行き、プレゼントしてきました。

従姉(右)と長女ちゃん(左)。
ココスで会食中。
27日には帰国する便が出るのでギリギリのタイミングでしたが、関西は台風15号が逸れてくれたのでなんとか手渡す事が出来ました。喜んでもらえたし良かった~!^ ^
ドイツへ戻ってもこれ見て日本に思いを馳せて欲しいです。
帰路の長旅どうか気を付けてね。
テーマ:ハンドメイド - ジャンル:趣味・実用
- 2022/09/24(土) 23:18:53|
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